「コーヒーに憑かれた男たち」
コーヒーが好きになると、コーヒーの起源や文化に興味を持つようになってくる。
すると必ずと言っていいほど、出てくるのが日本の珈琲文化を発展させた御三家の存在だと思う。
日本の自家焙煎珈琲文化を発展させた御三家と言えば。
・【カフェドランブル】の関口一郎
・【カフェバッハ】の田口護
・【もか】の標交紀
この3名ではなかろうか。
この御三方から弟子達が各々派生していき、十一房珈琲やミネルヴァ、豆香洞コーヒー、珈琲美美などの名店が続々生まれているのだから、御三家と呼ぶに相応しいし、そう呼んでも差し支えないだろう。
この日本の御三方の話のエピソードが綴られている書籍がある。
嶋中労が執筆した「コーヒーに憑かれた男たち」である。
著者である鳩中労さんは、埼玉県川越市の出身。
同じ埼玉出身だからか、とても親近感が湧きます。
この「コーヒーに憑かれた男たち」は先程紹介した日本の自家焙煎珈琲を牽引した【珈琲御三家】を軸に展開していきます。
日本の戦後コーヒーの状況に少し触れながら、同じコーヒーという1つの飲み物が、どのように御三方の生き方に影響を与えたか。
そして戦後のコーヒーにどのような革新(イノベーション)を与えたのかが書かれている。
当時、私がこの書籍を読んだ時は、サードウェーブコーヒーの真っ只中だった。
ライトアップコーヒーや、グリッチコーヒー、トランクコーヒーなどのコーヒーが注目を集めていたと思う。
古くからの自家焙煎珈琲店では、浅煎りコーヒーに対して賛否があったのは事実だと思うが、今では浅煎りコーヒーは充分にコーヒー愛好家に認知され理解されてきた。
最近では、むしろ浅煎り〜中煎り、よくて中深煎りのレンジを扱う店が多く、深煎りのレンジを扱うお店が少なくなってきているように思える。
肩身が狭い思いをしているのは私だけだろうか。
とにかく、サードウェーブコーヒーが“正しい”コーヒーと思っていた私にとって、こんな世界があるのかと教えてくれた一冊だった。
この本を読んだら、コーヒーの可能性、そしてその素晴らしさを感じ得ずにはいられない。
きっと無限に広がるコーヒーの魅力に引き込まれ、今すぐコーヒーが飲みたくなると思う。
今、このブログを書いていてもそう感じるのだから間違いないだろう。
「関口一郎」という人間性に惹かれて
作中に登場する一人目の日本人に関口一郎先生という方がいる。
先生と呼ばせて頂いているが、別に私が弟子だとかそういうわけではない。
ただ単に尊敬しているからあえて“先生”と呼ばせて頂いている。
先生の「カフェ・ド・ランブル」は昭和23年に銀座で創業し、今なお銀座に君臨している。
10年以上熟成した「オールドクロップ」を用いたコーヒーが有名ですが、焙煎に関しても研究に研究を重ねて、自身の確立した持論を持ち、ネルドリップ抽出に関しても妥協を許していない。
その信念と、先生のコーヒー哲学を知るにつれ、「関口一郎」という人間性に魅せられてしまった。
新鮮な豆を用いて、豆本来の個性を生かす風潮(ニュークロップ・浅煎り焙煎)の中、一貫して「オールドクロップ」を用いたコーヒーを出し続け、今なお多くのコーヒー愛好家の支持を受けている。
私も先生の書籍も多く読ませてもらい、今でも書籍は大切に保管している。
余談になるが、私は関口一郎先生に会いたくて、お店に伺ったことがある。
1度目に行ったときは、高齢ゆえお店には毎日出てきておらず、2度目に入店しに伺った時も最初はいらっしゃらなかった。
しかし、会計を済まそうとレジへ向かうと、視線の横にちょこんと座るおじいちゃんがいた。
その人こそが、関口一郎先生だったのだ。
びっくりして私は言葉を失ってしまった。
しどろもどろになりながらも、本を愛読させて頂いていることや、先生のコーヒーに対する考えについて感銘をうけたことを話させて頂いた。
面倒だったに違いないが、先生は顔色一つ変えず、そうですか、そうですかと私の言葉に寄り添って聞いて下さった。
握手をしたい旨を伝えると、快く握手して頂いた。
その手は100歳を超えているとは思えない、大きくて温もりのある職人の手だった。
先生から「コーヒー関連のお仕事をなさっているのですか?」と聞かれた。
私は「医療職なんですが、先生の書籍を読んでコーヒーの仕事に興味が湧きまして。」と答えると、先生から「頑張りなさい。」と温かい声をかけてもらった。
その場で何度も感謝を述べて退店したが、先生と一緒に写真を撮るのを忘れた。
私は、申し訳なさげにもう一度お店に戻り、先生に写真を一緒に撮ってもらえないかとお願いした。
「写真?こっちに座りなさい。」っと写真撮影も快く承諾してくださった。
本当に感謝に絶えない。
写真の中で私は緊張の面持ちで写っている。
しかし、よく見て欲しいのは隣に座っている先生がとても窮屈そうに写っていることだ。
先生の写真映えが悪くなってるので、もう一度撮影するか悩んだが、それすらも畏れ多く感じてしまったし、かつお店の営業の邪魔になりかけていたので、そのまま急いで退店することにした。
いやはや、迷惑な客というのは自分のことを言うのだろう。
コーヒーの小商いについて考える
2018年。先生が亡くなってから、かれこれもうすぐ4年になろうとしている。
先生と出会ってからコーヒーについての仕事をしてみたいと思うようになり、雑司ヶ谷でコーヒー豆を手売りするようにもなった。
今では、コーヒーの小商いをするための店舗を作ろうと少しずつ環境を整えている。
思えば、先生から掛けられた「頑張りなさい。」という言葉。
もしかしたら「君には無理だろうけどね。」という言葉が後に続いたかもしれない。
それを私が、肯定的に受け取っているだけに過ぎないからだ。
コーヒー界隈の人からしたら笑われてしまうだろう。
それでも自分の気持ちには嘘はつきたくないなから、コーヒーの小商いは継続していきたいと思っている。
コメント