“キリがないから”

果てしない日々の出来事
果てしない。終わりがない。キリがない。

今日は、朝から寝坊をしてしまいました。

私は、冬が近づくにつれ、早く起床することができない特徴があるみたいです。

これは単純に気温が暖かいか寒いかの違いで起床の時間が変わるようです。

今日は、朝から気温が17度と低かったので案の定、起床する時間が遅く、おかげでこのブログを書いているのは仕事に就く15分前です。

昨日は仕事について書きましたが、今日は何について書こうか未だに悩んでいます。

題材を選んでいたらキリがありません。

ところで「キリがない」という言葉を辞書で調べてみると意外と面白かったです。

漢字では、「切りが無い」と書くようです。

「切れ目が無い、際限が無い、終わりがない、果てしない」という意味を持っています。

「切りが無い」ことは、私の周りでもたくさん存在します。

私は、書店に行くと面白そうな本があったら、際限なく購入してしまうのがクセで、結局読む時間がなく積読状態にしています。

今読まなくても、いつかは読むだろうと思い、ずっと同じ場所に置いてあります。

そしてどんどん積読されていき、しまいには見えなくなることもしばしばです。

そうすると部屋の中が本によって少しずつ占領されます。

相方は呆れて物も言えず、私の本に対する欲望に「切りが無い」ことを感じているはずです。

テレビでは連日コロナ関連の報道がされています。

デルタ株が猛威を奮っていたと思ったら、今度はミュー株まで出てきました。

東京の感染者数は毎日報告されていますが、感染者数の数字に慣れてしまっているからか、数が多いのか少ないのか、だんだんとわからなくなってきています。

それに伴い、警戒心も麻痺しているように思えます。

緊急事態宣言も発令されていますが、解除される見通しもつかず、得てして「切りが無い」です。

「切りが無い」という言葉は、このようにうんざりするようなニュアンスで使われています。

私は、毎日相方と過ごすことがとても楽しいです。

楽しくないことがありません。

毎日、何かしら笑っています。

いつまでも、いつまでも、相方と笑って過ごしていきたいです。

それは贅沢かもしれませんが、贅沢を求めたら「切りが無い」ですね。

でも楽しいことが「切りが無い」のは良いことだと思います。

人生楽しみ続けられたら、こんなに幸せなことはありません。

このように「切りが無い」という言葉は、うんざりするようなニュアンスから“嬉しいニュアンス”に早変わりします。

ニュアンスを否定的に捉えるか、肯定的に捉えるかは、すべて自分次第。

自分の心の持ちようによって言葉の解釈は変わってくるのではないでしょうか。

余談ですが、ミューという言葉を聞くと、私はつい伝説のポケモンを想像してしまいます。

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