「けんちゃんのような人を、立派に育てたお父さんに会いかったよ」 

家族のこと

相方の両親は、亡くなった私の父のことをだいぶ気にかけてくれました。

令和4年2月下旬ごろ。

私と相方の家族で顔合わせを予定していましたが、コロナの蔓防の延長により、顔合わせが中止となりました。

延期をする選択肢もありましたが、それは父の病状悪化により断念せざるを得ませんでした。

父は3年前から癌の闘病生活を送り、比較的安定した経過を辿っていたのですが、顔合わせの時期から病状が変化してきました。

認知機能の低下が認められてきたのです。

不思議に思った主治医は脳のCTを撮影したところ、脳に腫瘍が見つかりました。

しかも、よりにもよって母と同じ脳の領域に見つかったのです。

主治医からは脳の転移と診断されました。

なんという運命でしょうか。

私は運命を呪いました。

その後は、1ヶ月もしないうちに、父はこの世から去ってしまいました。

弱くなっていく父の姿を見るのは、お互いに辛いものがあったと思います。

聡明な父の姿のままでいてほしかったのですが、運命はそのような私の期待を裏切ります。

相方の両親への説明には、とても気を遣いました。

結婚という祝い事が迫っている中で、父の訃報を連絡しなければならなかったことは、悔しさ・悲しさ・申し訳なさなどの感情が入り混じった複雑な心境でした。

結局、結婚式の1ヶ月前に私の父が亡くなってしまったので、相方のご両親は私の父に会うことは叶いませんでした。

日本の風習では、亡くなって49日の間に祝い事を行うことはタブーとされているため、私は各方面に確認作業を行いました。

もちろん相方の両親にもです。

相方のご両親はとても理解のある方々で、生前の父の意向、そして私の意向を汲んでくださり、結婚を執り行う運びとすることができました。

その点に関しては本当に感謝しています。

その際に、相方のご両親から次のような言葉をかけて頂きました。

「運命ってのは変えられないのは重々承知しているけれど、それでも運命を憎みたくなってしまうね。」

「けんちゃんのような人を、立派に育てたお父さんに会いかったよ。それだけが無念だ。」

私の父とは、親子ゆえに、相容れない関係がずっと続いていました。

息子としての立場から見れば、私の父はとっつきにくい頑固なオヤジで、嫌いな存在だったのです。

しかし、社会人として、また同じ医療職としては、尊敬するところが多くありました。

なので、相方のご両親からそのように言葉を掛けてくれただけで、私の心の足枷は軽くなったような気がします。

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