「宝」をGoogle検索で調べると、「貴重なもの。大切な尊い品。比喩的に、かけがえのない人。」と出てきます。
なにも高価で、希少なものを「宝」と定義している訳ではないようです。
そこに、大切に思う心や気持ちがあれば、どんなものでも「宝」と言えます
つまり「宝」とは、その人それぞれの心の持ちようだったり、考え方によって変わってくると思います。
いわゆる価値観と同義と言えるでしょう。
大事にするから「宝」なんだと。
だったら、“思い出”さえ「宝」と言えるのではないでしょうか。
3年前、私の母は脳腫瘍に罹り、脳の手術をすることになりました。
腫瘍は記憶を司る領域に近接しているため、手術術後の合併症には記憶の損失の可能性があると、主治医より説明がありました。
「私はね。『野に咲く花のように』という音楽がとても好きなの。」
「あぁ。ダカーポの曲だよね。」
「そう。『時にはつらい人生も、雨のちくもりでまた晴れる。そんな時こそ野の花のけなげな心を知るのです。』っというところの歌詞が1番好きでね。その歌を聴いていると、人生頑張って生きなくちゃって思うのよ。」
「でもね。そんな自分の好きだったものが、消えてなくなるかもしれないと思ったらね。。。」
それから母は、ベッドの上で泣き崩れてしまいました。
自分の大事な“思い出”が消えてしまうこと。
大切にしていた“思い出”が消えてしまうこと。
手術の痛みや術後に麻痺が起こってしまうことよりも、自分の記憶が無くなってしまうことが1番怖くて、悲しく、辛かったのでしょう。
どうすることもできない現実に、私もただ涙ぐみながら「主治医の先生を信頼しよう」としか声をかけられませんでした。
今思えば、もっと母を勇気づけられたり、共感してあげられるような言葉をかけられたのではないかと思います。
今となってはもう遅いのですが。
今までの大切な“思い出”が明日突然消えてしまうとしたら、あなたはどうしますか?
私は、自分の人生に後悔せず、今目の前にある時間を一生懸命生きるようになりました。
そのためには、どれだけ身の回りに「宝」を感じるか。
つまり、“当たり前”だと思っている日常、これこそが「宝」であり、私たちはその“当たり前”にもっとフォーカスして「宝」をみつけていくことが大切ではないでしょうか。
自分の人生は何気ない道のりだったかもしれません。
でも、ふと後ろを振り返ってみてください。
何気ない人生と思っていた道のりも、その過程が実は「宝」だったりもします。
今一度、自分の「宝」なるものは何なのか、またその「宝」はどこにあるのか見つけてみるのも良いかもしれませんね。
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