当たり前の日常に違和感を感じる日々

日々の出来事

当たり前のようにある私と相方の生活にふと違和感を感じました。

相方と2人で都内を歩いている時のことです。

相方が私に突然話し掛けてきました。

「こうして私たちが何気なく過ごしている間にもウクライナでは争いが起こっていて、私たちのような一般市民が犠牲になってるんだよね。」

「それってとても悲しいことだし、今こうして2人並んで歩けることにも本当は感謝しなくちゃいけないのに。」

「それを忘れてしまっている自分がいて、少し罪悪感がある。」

不思議なことに、私たちは日常を何気なく過ごしており、それを当たり前だと思ってしまう節があるようです。

本来、健やかに生きていることは当たり前ではないはずなのに、当たり前だと思い込んでしまう。

そして、ある時突然不幸なことが起こると、その時ようやく気付くのです。

当たり前であったことが当たり前ではないと。

相方は、当たり前の日常に違和感を感じたようでした。

私は、今こんなことして良いのか。

笑顔で暮らしていて良いのか。

世の中は平等であるべきだと言いながらも、不平等の世界が広がっています。

私が日本に生まれたことは、私が決めたことではありません。

たまたま両親のおかげでこの世に生を受けただけにすぎないのです。

これが人は生まれた時から平等ではないと言われる所以でしょう。

今、どこかの国で戦争が起きて犠牲になっている人がいます。

平等を掲げて、私たちも犠牲にならなくちゃいけない。

罪悪感に苛まれて、そこまで落とし込む必要はないと思いますが、そういった考えに近いものが少しでもあれば、それは人として真っ当な心を持ち合わせているように思えます。

だから、当たり前の日常に違和感を感じ、罪悪感を感じている相方の心の動きに、ほっと安心している自分がいました。

人の悲しみに寄り添えることは滅多にできることではないのですから。

私は、あらゆる戦争に反対します。

どうか戦争による犠牲者がこれ以上増えないで。

ただただそう祈るばかりです。

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