自分の存在理由|多様性を尊重しあえる世界へ歩むこと

日々の出来事

私は、自分と異なる価値観の人を、自分のパーソナルスペースからどんどん遠ざける傾向にあります。

自分のパーソナルスペースには、同じ価値観をもった人にいてもらいたい。

そのほうが自分の精神が安定するからです。

そのため、異なる価値観の人が、ぐいぐいと自分のパーソナルスペースに入ってくると極端に抵抗を示してしまいます。

「あなたは若いから」と簡単な言葉で片づけられてしまう時ほど、「あなたにいったい私の何がわかるのですか?」と投げかけたくなります。

自分のことばかりを棚に上げて話す人ほど、私は毛嫌いしてしまうようです。

私は、相手に少しでも違和感を感じると、この人は価値観が違うんだとすぐに心のシャッターを下ろしてしまいます。

本来ならばその価値観も許容して、おおらかな心で包み込めば良いのでしょうが、その点は私がまだ未熟なのでしょう。

「自分のことはきっと理解できない」と踏ん切りをつけてしまい、相手を遠ざけてしまうのです。

遠ざけるだけで、私は相手の価値観を否定したりはしません。

あくまで自分が距離を離して遠ざけるだけ。

面倒臭い人間関係が嫌なのかもしれません。

変な団体意識(価値観を無理に近づけようとする)は、「正しい行い」を盲目的にさせてしまうような気がして。

不思議なものですが、同じ価値観を向いていると思ったら、いつの間にか微妙にズレている時もあります。

こういう時ほど、価値観の多様性というものを改めて感じます。

価値観は、十人十色。

その人それぞれの価値観を持っていて良いと思います。

しかし、その価値観の押し付け合いが、私は嫌なのかもしれません。

価値観の多様性を尊重しあえる、もっと広い視野の世界に行きたいと夢見心地になるのですが、現実はそんな甘いものではないようです。

それでも、私はその夢見心地の世界にいくことを諦めてはいません。

「自分を理解してくれる世界がきっとある。」

その一心で、一歩ずつ前に進んでいます。

どんなに周りの人と価値観が異なろうと。

どんなに馬鹿にされ、卑下されようとも。

私は、私の価値観の下、自分の世界の道を切り開いていていきたい。

それが自分の存在理由ではないでしょうか。

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