人は1人では生きていない〜92歳の女性に支えられて〜

92歳の女性から頂いた詩日々の出来事
92歳の女性から頂いた詩

先日、訪問診療の関係で老人福祉施設に伺う予定がありました。

隔週で診療に伺っているのですが、施設の利用者の方々は私が来訪するのが楽しみなようだ、首を長くして待たれている方が多いと施設職員より伺います。

いつもその期待に応えねばと身が引き締まる思いで診療に臨んでいるのですが、今日はいつも診療させて頂いている1人の利用者にフォーカスを当てて書いていきたいと思います。

その方は、92歳の女性でいつも私の診療を楽しみにして待って下さっています。

いつもはアシスタントと2人で診療していましたが、たまたまこの日は私1人で診療していたため、診療室には利用者の方と2人きり。

私は、もくもくとその方の口腔内をケアしていました。

無事に口腔ケアが終わり、利用者の方が普段生活しているフロアに誘導すると、最後にその利用者の方が「ねずみにひかれないようにね」と声をかけてくださいました。

私はその言葉の意味がよく分からず、なんとなしに「ありがとうございます」と返事をし、会釈してその場を後にしました。

そして帰ってから、その時に掛けられた言葉を思い出し、そう言えばどういう意味だったんだろうと疑問に思ったので調べてみると、辞書では次のように書かれていました。

「ねずみにひかれる」=家の中に1人きりでいて寂しく心細いことのたとえ

もともとは「ねずみが塩を引く」という慣用句に由来するようです。

昔は、戸棚に入れておいた食べ物がねずみに食い荒らされ、いつの間にかなくなるということがよくあったそうで。

一度に”引く”量は少なくても度重なると大量になる、そこから【些細な事でも繰り返すと大事になってしまう】ということを慣用的に「ねずみが塩を引く」と表現するようです。

そこから「ねずみにひかれる」という言葉は、『神隠しにでもあいそうなほど寂しそうに見えるから気をつけなさいよ』というニュアンスで使われるようになったみたいです。

利用者の方からしたら、私が1人で診療していたため寂しそうに見えて心配だったんでしょう。

思い返せば、その方はいつも優しく私の側で心の支えになってくれています。

色々とご縁があり、その方は私の母とも生前に付き合いがあり、母が亡くなった後も「先生、お気を落とさなぬよう。お身体を大切になさって。」と声を掛けて下さいました。

また他にもこんなことがありました。

「棚を整理していたらね、こんなお母様の写真が出てきて、とても懐かしく思ってね。先生にも見て頂こうと今日用意したんだけど。見て頂ける?」

私は、「もちろんです。むしろ見せて頂けるなんて光栄です。」と返し、その方と生前の母が一緒に写った写真を見せて頂きました。

母は、優しくその方の肩を抱き寄せ、顔を寄せ合い、2人とも満面の笑みを浮かべた姿が写っていました。

生前の母に対して私は態度が悪かったこともあり、その笑顔を見た瞬間、私の心の中では罪悪感と寂しい気持ちが入り混じっていました。

私はその場で、写真を見せてもらったお礼をその方に伝え帰りました。

すると後日、その方から「先生に送りたい詩があるので、もらって欲しいのだけど。もらって頂ける?」とお願いされました。

私は、詩を書いてもらったことがなかったので、大変びっくりしましたが、とても嬉しく思い、喜んで受け取らせて頂くことにしました。

そして、それは次のような詩でした。

92歳の女性から頂いた詩
92歳の女性から頂いた詩

「やさしい笑顔の 母の顔 思い出し ほほにひとすじのなみだ」

92歳の女性の詩より

実は、以前写真を見た時に、私は涙を流していました。

声は震わせず、普段どおり喋り、その方が見えないように涙したつもりでしたが、簡単に見透かされてしまっていたようです。

気付いたら、その方の心配りに、私は言葉なくただただその方の手を握りしめていました。

私はこの時、素晴らしい人に支えられて生きていることをいつも以上に強く実感しました。

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