距離感をおかれても、ご機嫌は自分でつくっていこう。

距離感をおかれても、ご機嫌は自分でつくろう仕事のこと
距離感をおかれても、ご機嫌は自分でつくろう

おはようございます。

今日の天気は曇り空。

今日は、朝から市役所に行かねばならず、早くブログを書き終えねばとせかせかしています。

市役所の用事以外にも大事な手続きがあり、幾分か緊張しているのですが。

さて、今日は仕事について少し書いていきたいと思います。

距離感をおくことに関して

最近、仕事において気になっていることがあります。

職場のスタッフに距離感をおかれてしまっていることです。

職場の中で私はある特定のスタッフと親しくしていないからか、はたまた面倒くさい先生と思われているからか、仕事の業務時間内において距離感をおかれている実感があります。

気のせいなのかもしれませんが、他のスタッフに避けられていることを耳にしたので、実感は真実となっているようです。

それによって仕事の効率がめちゃめちゃ悪いことが続いています。

特定のスタッフと親しくしていない理由は、上司に対しての言葉遣いだったり、目に余る態度が多々あるからです。

私は基本的に、そういう態度の人とはプライベートでは関わらないようにしています。

つまりプライベートにおいては、私から距離感をおいているのですね。

私から自分の価値観を捨てて、相手の価値観に近づけることもできるかもしれません。

そうやって自分の気持ちを曲げることもできますが、そのようにしてスタッフとプライベートで接し続けても、自分が疲れてしまうだけ。

やはり自分の気持ちと正反対のためか、自分自身にも罪悪感が生まれてしまい、ただ辛くなるだけなんですね。

だからプライベートでは仲良しこよしというわけには至っていません。

もしかしたら、私はそのスタッフを下の立場としてみているのかもしれません。

以前に義理の姉さんにそのように指摘されたこともあります。

プライベートにおいて、私は対等な立場、対等な目線で、そのスタッフと接していないのかもしれません。

業務中は壁をなくしていきたい

しかし、プライベートではそうだったとしても、業務時間内に関しては私はそういった気持ちは持たないようにしています。

患者さんファースト。患者さん中心の医療を提供したいからです。

なので業務中はそういった壁はなくして仕事をしていきたいと思っています。

私はそのような働き方をしようと心がけているつもりなのですが。

もしかしたら“つもり”になっている?

客観的にみたら、業務時間内において私はそのスタッフとどのように接しているのでしょうか。

スタッフからは見た私は、どのように思われているの気になるところでもあります。

そのような他者から見た私はどう思われているのだろうかと想像するとき、いつも頭に出てくる本があります。

アドラーの「嫌われる勇気」です。

この本を読んだ当時、他者の評価を気にしてはいけないことを、この本からよく学ばせてもらいました。

アドラー曰く、「悩みの全ては対人関係にあり、他者から評価されようとする生き方をすると他者の人生となり、人生における自由を失うことになる」ということが確か書かれていたと思います。

スタッフからどう思われているのか等に関しては考えないようにして、患者さん中心でありながら、自分が正しいと思っていること、自分が誠実だと思う行動をしていくこと。

そうやって自分に対して嘘偽りをなくすことで、生きることが辛くなくなるのではないかと思います。

もちろん、エゴイズムは避けなければならないと思っています。

スタッフあっての医療だと思っているので、スタッフには毎日感謝しなければなりません。

だから、スタッフと協調性を持って働いていくことも大切だと思っています。

それゆえに相手からあからさまに距離感をおいてくることに対しては、さすがに人間であるがゆえイライラが募ってくるのですが、それに関しては冷静に落ち着いて対処していこう。

業務中に仕返しされても、心は大らかに。大らかに。

ご機嫌は自分でつくるもの

毎朝、別所哲也さんの朝のラジオ番組を聞いているのですが、そこでとても好きな言葉があります。

「ご機嫌は自分でつくるもの。」

毎日、この言葉を別所さんはヒーリングボイスで言ってくれます。

この言葉でどれだけ救われたことでしょう。

イライラしたり、嫌な気分になっても、ご機嫌は自分で作らなければ楽しくないよ。

朝の挨拶1つとってもそうだと思います。

暗い挨拶では、相手も暗くなってしまいます。

自分の機嫌で、相手の機嫌を左右させてはいけないですね。

「ご機嫌は自分でつくるもの」

本当に素晴らしい言葉だと思います。

コメント