初めて読んだ小説の話

初めて読んだ小説日々の出来事
フォーチュン・クエスト公式サイトより引用

中学の頃に、部活動の先輩から【フォーチュン・クエスト】というファンタジーライトノベルを勧められました。

それが人生で始めて読んだ小説だと思います。

私は、それまで活字がずらっと並んだ本が嫌いでした。

文字を1文字ずつ読むことに必死になってしまい、文章の意味を理解することができませんでした。

文字を読むことに意識が向いてしまうと、本の世界観を想像することできませんでした。

すると想像することが面倒に思えてしまい、だんだんと面白みも感じてこなくなります。

必然的に本を好きになることはできませんでした。

徐々に本から遠ざかってきたこともあり、言葉や文章と接する機会も少なくなりました。

なので受験勉強の時は相当苦労しました。

国語の成績がどうしても改善できず、偏差値もだいぶ低かったと思います。

両親は、我が家始まって以来の家庭教師の導入を実施しました。

しかし、それでも私は国語という科目を好きになることはありませんでした。

夏休みの宿題の定番である読書感想文も苦手でした。

後ろページに書いてある作者あとがきや解説のページを少しいじったり、親に書いてもらいなんとかその場を凌いでいた気がします。

このように文字や言葉、文章という日本の公用語という壁に私はぶち当たっていたので、ますます本を好きになることはありませんでした。

それゆえ、最初から最後まで1冊の小説を読めたことが、中学校の頃の私は本当に嬉しかったのです。

自分だって小説を読めるんだ。

そういう自信をつけることができました。

そして、私は「フォーチュン・クエスト」のシリーズを数巻読み続けることもできました。

1冊の本からシリーズを通して数巻小説を読破できたことも生まれて初めてでした。

そんなある日、父から『お前は本を読まなすぎる!』と言われ、怒られたことがあります。

その時の私は、『僕だってきちんと本を読んでるよ!』と言って反論しました。

『じゃあ読んでるものを教えてみろ!』と言うので、私は満足気に「フォーチュン・クエスト」を見せたところ、『こんなものは本じゃない!』と言って本を投げられた記憶があります。

学校の図書館で借りた本を投げるなんて、今考えたらひどいもんです。

父からすると私が提示したものは、本は本でも、ジャンルとしては大衆文学に属していることが気に食わなかったんだと思います。

つまり、父は夏目漱石の「吾輩は猫である」や「坊っちゃん」、川端康成の「雪国」などの純文学を読んでほしかったんだと思います。

それまで「フォーチュン・クエスト」は、ちゃんとした本だと思っていました。(今でもちゃんとした本だと思っています。)

こんなに読み続けられたことは生まれて初めてだったし、この本に自信をつけてもらったことが本当に嬉しかったんです。

しかし、それを父から真っ向から否定されてしまったため、それ以降、私は教科書以外、活字がずらっと並べられた一般的に“本”と呼ばれているものを読まなくなってしまいました。

純文学や社会経済、歴史など、親が勧める本を絶対に読まないという私の中の反逆のカリスマが目を覚ましたのです。

それが、20代後半まで続きました。

高校や大学時代は、漫画や雑誌などのカテゴリーは読んでいましたが、小説などは一切読みませんでした。

今思うと、本当にもったいないことをしたと思います。

その反逆した10年でどれだけの本が読めたのだろうかと、いつも後悔しています。

私がもし父親の立場だったら、「フォーチュン・クエスト」を見せられたら、どのような対応をしただろう。

子供に対して、どのように本を読ませるよう導けただろうか。

今は本がとても好きになったので、子供が本を読んでくれない時の父親の気持ちは理解できる気がします。

「フォーチュン・クエスト」は、昨年の7月にやっと完結巻を迎え、なんとシリーズを連載して30周年だそうです。

20年前に読んだ時は、数巻しか出ていなかったので、こんなに大作になっているなんて知りませんでした。

懐かしいので今度ブックオフで買うことにします。

フォーチュン・クエスト 30周年公式サイト
フォーチュン・クエスト30周年記念公式サイト 深沢美潮が描くファンタジーライトノベル作品が刊行から30年を迎えました。ファンタジー小説の金字塔、フォーチュン・クエストについての情報はこちらから

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