眠った父を前にして

家族のこと

昨日、私の父が亡くなりました。

72歳でした。

これまで癌ともに生き、癌と向き合い闘病してきましたが、夜中の2時頃に息を引きとり、逝ってしまいました。

小さい頃は、よく父と2人でトランプの神経衰弱ゲームをした記憶があります。

父は勝負事には何事も容赦なく、本気で勝ちにいってました。

子は親の背中を見て育つということを意識していたのでしょうか。

弱さを見せないことを常に重んじ、父親の威厳を保とうとしていたんだと思います。

だからでしょうか。

最後は自宅で、そして家族に見守られながら逝くことを望んでいたように思えます。

家族以外の人には弱った自分を見て欲しくない。

そんな意思を感じました。

父が亡くなった今、もう勝負事で父に勝つことはできなくなってしまいました。

逃げ勝ちというやつですね。

勝負事といえば、遊びだけでなく、仕事においても父の才能は素晴らしいものがありました。

歯科医療だけでなく、労務関係から、法務関係まで、多岐にわたる専門知識を身につけていました。

おそらく、たくさんの書籍を読み込み、それを自分の中で咀嚼して、アウトプットしていくことに長けていたんだと思います。

私が出会った人の中で、父のその聡明さを超えるような人に出会ったことはありません。

一方で、父は古いしきたりや、日本人の心、武士の心を大事にする傾向がありました。

長男はこうあるべきである。

結婚とはこうあるべきである。

そういった極端で、凝り固まった考えが、私を父から遠ざけたんだと思います。

父を尊敬する一方で、私は父に苦手意識を持っていたのです。

しかし、なんででしょうか。

父がいなくなると、そこはかとなく寂しい気持ちになります。

「おやじ。聞こえる?」

いくら声をかけても、父からは返事が返ってくることはありません。

そんな父を前にして、それ以上の言葉が見つからず、ただただ呆然と立ち尽くすしか自分にはできませんでした。

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