昨日、午前中の仕事が終わり、昼食を買いに外に出ると金木犀の香りがしました。
甘くて柔らかな香りに懐かしさを感じながら、金木犀がどこにあるのか探している自分がいました。
金木犀の香りを感じると初秋を実感します。
私は日本の4つの四季のうち、秋が1番過ごしやすい時期だと思っています。
しかし、その秋がやっときたと思ったら、あと3ヶ月で1年が終わってしまうのです。
冬もすぐ到来することでしょう。
そう考えると、時が過ぎるのは早いものです。
金木犀は、私の実家に植えてあった思い出深い樹の1つです。
毎年秋の初め頃になると、1つの枝にオレンジ色の小さな花弁を多数咲かせていたのを覚えています。
建て替えのため、その金木犀は撤去しましたが、クレーンで撤去するときの物悲しさは今でも忘れられません。
私たちの人生は有限であるが故、日々何かをしなければならないと、そのなんらかの何かに追われている気がします。
その何かを達成しなければ、人生が終わってしまう。
実際そんなことはないのですが、そんな空気が社会に漂っている気がするのです。
私自身、その空気に影響されている1人かもしれません。
私は、常にひたむきに一生懸命やることが自分の強みだと思っています。
これはとても大切なことだと自負しているのですが、これが過度にいきすぎると自分を見失うことが多々あります。
すると周りばかりに目がいき、知らず知らずのうちに、周りの人間と比較して焦ってしまうのです。
そんな時、いつも相方がリセットしてくれます。
相方は、遠くからそっと見守ってくれることもありますが、側に来て温もりを分けてくれることもあります。
私の状態に応じて接し方を変えるのは、センスとしか言いようがありません。
「根を詰めなくて大丈夫だよ」「周りを気にすることなんてないんだよ」「今のままで大丈夫だよ」
何気ないありきたりな言葉かもしれませんが、当の声をかけられた本人にとっては本当にありがたい言葉です。
私たちは、何かに追われることに慣れすぎてしまっていると思います。
何かに追われているからこそ、私たちには「ナニモシナイ」という時間が必要なのではないでしょうか。
何かに追われることから解放される時間。
そういった意味では、仏教の座禅は非常に理にかなっているのかもしれない。
「ナニモシナイ」時間を大切にする価値観を常に大事にしていきたいものです。
自分にゆとりを持たせることで、明日の自分が形成されるのでしょう。
秋のずず虫の声を聴いて、気持ち穏やかに。
そして、金木犀の香りに誘われるままに。
コメント