私は、今日尾瀬から帰ってきました。
尾瀬の山行についての詳細は、また追って記事にアップしたいと思っています。
今回の記事は、その山行の行程の中で、ふと頭の中で考えたことについて、つらつらと書いていきたいと思います。
尾瀬の山行は、終始、雨との戦いでした。
登山道のほとんどは木道のため、雨によって足元は滑りやすくなっており、周りの景観を楽しむ余裕がありませんでした。
足元の緊張を途切れさせず、終始注意して前進したため、精神的にも追い詰められ、同時に肉体的にも徐々に疲労が蓄積していきました。
そんな過酷な行程の中で、ふと頭によぎったことは、「自分は何故、尾瀬に来たんだろうか?」という疑問でした。
その疑問に対して、「自分が何故、尾瀬にきたのか」その理由を頭の中で探していきます。
無事にその疑問が解決されると、今度は「何故、山を登るのか」その理由について自身に投げかけている自分がいました。
私が「山に登る理由」は、「山のご飯が食べたいから」、「山でコーヒーを飲みたいから」、「下山後の温泉を楽しみたいから」
こんなもんでしょうか。
しかし、これらは山に登る本質的な答えになっていないように思います。
登山の魅力は、自然と一体になること。
そして、それによって「生」を実感すること。
これに尽きると思います。
では「生」を実感するとは、どういったことなのでしょうか。
いわゆる承認欲求のようなものなのでしょうか。
しかし、今の私には、その本質について語ることができる言葉と知能を持ち合わせていません。
では、そのような本質的な部分の答えがなければ、山に行ってはいけないのでしょうか?
否、そんなことはないはずです。
例え、本質的な部分がわからなかったとしても、「山に行きたい」という気持ち自体は、とてもピュアで自然的な気持ちだと思います。
その気持ちこそが、実は1番大事な部分なような気がするのです。
私は、山に行くことで、「生」を実感します。
本質的な部分は、そのもっと深いところにあるのかもしれませんが、「山に行きたい」という気持ちはこれからも大事にしていきたいと思っています。
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