私は、美味しいコーヒーと出会うと、その日1日が至福の時間に変わるような気がします。
そもそも美味しいコーヒーってなんでしょうか。
素朴な疑問が私の中で生まれました。
そこで今回は、美味しいコーヒーについて、私の身近なエピソードも交えて考えていきたいと思います。
カップテストについて
美味しいコーヒーについて考えていく際、カップテストについて少し触れておきたいと思います。
よくネットオークションで取引される高級なコーヒー豆の中には、アメリカのスペシャルティコーヒー協会(SCAA)で行われているカップテストで評価されたものがあります。
カップテストとは、いわゆる利き酒?みたいなものと考えて頂ければよいかもしれません。
コーヒーの粉の香り(フレグランス)、湯を注いだ後の香り(アロマ)、口に含んだ時の風味(フレーバー)、酸味の質、苦みの質、雑味、甘さ、コクなどを評価していきます。
コーヒーは、そもそも苦みが特徴的な飲料だと思う方が多いかもしれませんが、SCAAではレモンや、オレンジなどのフレーバーを感じるものだったり、良質な酸味を感じるものを優れたコーヒー豆と評価します。
優れた評価を得たコーヒー豆は、ネットオークションで100g7000円もざらじゃありません。(私は手売りで100g600~800円のものを販売しています)
この優れた評価を得たコーヒー豆。
私の先入観があるかもしれませんが(評価は主観に頼るしかないので仕方がないと思います。。。)たしかに、豆自体に甘いジューシーな香りがしたり、フレッシュフルーツのような良質な酸味と甘味が感じられ、優れたコーヒーだなと感じることができました。
では、この“優れた”コーヒーは、他の人が飲んでも、“美味しい”コーヒーとなりうるのでしょうか?
人の嗜好は十人十色
私は、ある時家族に優れたコーヒー豆を送ったことがあります。(某有名店のCOE入賞豆だった気がします)
しかし、家族の感想は期待したものではありませんでした。
「酸味は苦手だし、日頃苦みが強いものを飲んでいるから、美味しいのかもしれないけど、私たちにはちょっとね」。
家族にとっては<優れたコーヒー ≠ 美味しいコーヒー>という残念な結果になってしまいました。
コーヒーもしかり、世の中に存在する食べ物、飲み物すべてに言えることですが、一流の人の味覚は、微妙な味や風味の違いを指摘することができるほど、繊細な味覚判別能力を有しています。
プロの領域に達していない私たち(コーヒーの仕事をしていますが、今だに私は海苔のフレーバーがわかりません)では、その味覚判別能力は低く、そのわずかな違いを指摘することは難しいかもしれません。
なので、そのわずかな違いを指摘できる味覚を有している一流の人が言う“美味しい”と評価したものは、信頼性が高いと考えるのは妥当性だと思います。
では、一流の人が美味しいと評価したものは、だれが飲んでも美味しいと感じるのでしょうか?
答えはNOです。
一流の人が美味しいと評価しても、自分の嗜好にあわなかったら、それは自分にとって美味しくないという評価・格付けになってしまいます。
私は、友人に対して、優れた評価を得たコーヒー豆(確かゲイシャCOEだった気がしますが)を使用したコーヒーを淹れたら、「マスカットの風味を感じるコーヒーをわざわざ飲むんだったら、マスカットティー飲むわ」と一蹴されたこともあります。
これはまさに私が提供したコーヒー豆が友人の嗜好に合わなかったことを意味するでしょう。
美味しいコーヒーの定義
では美味しいコーヒーとは、そもそも何なのでしょうか?
コーヒーはタバコと同じ嗜好品です。
体調によっても、日によっても嗜好は変化していきます。
自分が飲みたいコーヒーの質というものが、その時、その瞬間ごとに変化しているのです。
<優れたコーヒー =美味しいコーヒー>
これは間違いないと思います。
しかし、それがすべての人に当てはまるわけではないのです。
【その日、その瞬間に自分が飲みたいと思ったコーヒーを選び、実際に飲んでみて美味しいと感じるコーヒー】
これが、私が考える美味しいコーヒーの定義です。
だから、美味しいコーヒーは、人の数だけ存在するんだと思います。
美味しいコーヒーと出会える懸け橋になること
コーヒーはとても奥深い飲み物です。
私自身、焙煎していて、それをより強く感じます。
生豆の栽培~焙煎~抽出までの工程には、研鑽を積んだ様々な職人さんが関わっていて、その方々がたくさん試行錯誤して作り、日本各地に優れたコーヒーを届けています。
そういった方々の努力の結晶を無下にしないためにも、我々消費者も味覚や表現力の幅に磨きをかけ、生産者に歩み寄っていく姿勢が必要かもしれません。
ただ闇雲に人生を過ごしていると、優れたコーヒーに出会う機会が少なく、優れたコーヒーを美味しいコーヒーと紐付けすることは難しいかもしれません。
それは私の家族が実際に証明してくれました。
優れたコーヒーというものは、どういうものなのか。
それを知ることができない。
優れたコーヒーに出会うことも難しい。
優れたコーヒーに出会う機会が少ないのであれば、消費者がそれを美味しいコーヒーと認識できるまでに、運命という存在が必要になってきます。
優れたコーヒーを提供していき、その人が美味しいコーヒーと出会えるきっかけを作る。
私は、そんな運命的な懸け橋を担う仕事をしていきたいと思います。
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