先日、相方と2人でこんな話をしました。
たまたま夜に喧嘩してしまった時のことです。
翌朝になってもお互い喧嘩を引きずっていて、出勤する際に「んー。バイバイ。」と顔をしっかり見ずに、ぎこちない挨拶でお互い別れました。
帰るころには、お互い喧嘩していたことを忘れて、仲直りしていましたが、その時に相方から言われたのです。
「今朝、バイバイと言って出勤する時、このまま永遠に別れたらどうしようかと思った。」
私もこの時は、相方と別れることが、悲しくて辛い別れのように感じました。
私と相方は、医療職という立場上、”死”という別れがくることを理解しています。
リアルに理解しているからこそ、突然の別れがいつでも起こりうることを知っているのです。
幼少時に友達とバイバイして別れる時は、“明日も友達は元気に生きてる”ということを前提にバイバイしています。
つまり「明日もきっと会えるよね」という意味合いが強いのかなと思います。
しかし、相方とバイバイして別れることは、この幼少期に行ったバイバイと異なることを、相方と一緒に過ごしていて初めて気がつきました。
相方とのバイバイは、「また元気な姿で帰ってきてほしい。」
こういう意味合いが、私の中に強くあることに気がついたのです。
私と相方はルールを決めました。
お互いに出かける時、そして家に帰ってきた時は、必ず「行ってらっしゃい」と「おかえりなさい」を顔を見てしようと。
そして「おはよう」や「おやすみ」の挨拶も必ずしようと。
例え喧嘩が長引いて、「おかえり」という言葉が、どもった「おかえり」になったとしても、必ずお互い顔を見て挨拶をすると決めたのです。
どちらかが逝ってしまったらお互い挨拶することができなくなるし、もしそこで挨拶しなかったら、きっと挨拶しなかったことを一生後悔すると思うから。
このルールを決めてから、私は少しでも相方と一緒にいる時間を過ごしたいと思うようになりました。
同時に、“勝手に逝かないようにしないとな。”、“生きることに執着しないとな”と思うようにもなりました。
相方より先に逝きたくないし、相方を残して逝きたくもない。
もし、仮に逝くとしたら私は相方と一緒に逝きたいです。
『The Notebook』(邦題「きみに読む物語」)のラストに描かれているような、ベッドの中で抱き合い静かに天に召されていく。
そんな逝き方であってほしいと。
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