ファインダー越しに見える世界

日々の出来事

知人から送られてきた父の画像

先日、知人から突然メールで画像が送られて来ました。

「子供の頃、ご両親によく遊んでもらいましたよ。感謝しています。」と言葉も一緒に添えられて。

画像を見てみると、それは20代〜30代の時の生前の父のものでした。

その中には、8mmカメラ片手に笑っている父の姿がありました。

それを見て、父はビデオカメラが好きだったことを思い出しました。

父とビデオカメラ

父は、どんな些細なイベントや旅行でも、ビデオカメラを忘れずに持っていきました。

お遊戯会、入学式、卒業式、運動会、海水浴など。

その都度、思い出を記録していきました。

替えのバッテリーや充電器、そしてビデオテープを何個も専用のバックに入れ、それを肩に背負いながら。

今思えば、当時のホームビデオの重量はとても重かったと思うので、子供の面倒を見ながらそれを持参するのは大変だったと思います。

時には、私たち子供たちを抱き抱えながらビデオを記録したりしていましたから。

手ぶれ補正がない時代に、手ぶれを抑えながらスムーズに映像を記録する技術を父は持っていたので、今思えば素人ながら素晴らしいものを持っていたように思います。

また、父はビデオ編集も得意でした。

それは父が幼少の頃にみた時代劇や少年探偵団などの映画に影響されていたからだと思います。

編集した映像をテープに保存し、旅行から帰ってきたら、それをテレビに出力して、家族全員で振り返って観るのが我が家の習わしでした。

「この時はあぁだった。こうだった。」と言葉が家族間で飛び交い、和やかな時間だったように思います。

ファインダー越しに見える世界

徐々に子供たちが成長し、家族ぐるみでの旅行が少なくなりました。

母との2人だけの旅行になっても、父はビデオカメラを必ず持っていきました。

そこで夫婦の思い出を紡いでいったのです。

母が亡くなってからも、父は1人ビデオ片手に旅行先の風景を記録していました。

その映像を父が亡くなってから、私は観ました。

その映像には、手ぶれ補正機能が備わっているビデオカメラにも関わらず、映像がぶれていたのです。

映像の記録は「時代を映す鏡」とも言われていますが、私にはその時「父の歩んできた軌跡」のように感じました。

私は、もう一度知人から送られてきた画像を見ました。

画像に写る8mmカメラのファインダーから見える世界。

父の目には、どのような世界が拡がって見えていたのか。

父が亡くなった今、自分で想像するしかありません。

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