歯科医師になって5年目の時。
当時、所属していた科のドクターに言われた言葉が私の人生を大きく変えました。
そのドクターを「X」と書くことにします。
「X」は研究にはとても熱心で、論文の作成を多く手がけている高尚な先生でした。
一方で、所属している研修医の教育には手がほとんどまわらず、議事録の作成や雑用に重きを置かせていました。
医局内で1年目の研修医達と過ごしていましたが、研修医達は指導医の対応に不満が募っていたように思います。
そういった光景をみて、胸が痛くなり、せめて私が学んできたことだけは研修医に注いでいきたい。
そう思うようになりました。
私自身、上級医に質問したくても質問することができない性格の人間でした。
上級医からしたら可愛くない研修医として思われていたことでしょう。
そういった私の背景があったので、私はなるべく研修医に寄り添う形を取るよう心掛けました。
研修医には、なるべく臨床に即した方法で患者さんに医療を提供するよう努めさせました。
ロジカルでありながら、システマティックに臨床を楽しんでもらおうとまずは自分の考えを述べさせ、その後私の考えを延べるようにしました。
もちろん何か失敗でもしたら、その責任は私自身が取るつもりで指導しました。
しかし「X」としては、私の指導法は患者さんを実験台のように扱うように見え、あまりそういったことはしてほしくなかった気持ちがあったのではないかと思います。
標榜している科の口コミも気にしなけれいけない立場だったので。
それでも研修教育機関なので、患者さんは十分に理解しているつもりだったと思いますが。
ある日、ある患者さんの家族が私に相談をしてきました。
「X」に患者さんを診て欲しくないので、私に診てくれないかという相談でした。
患者さんは歯周病で予後不良の歯を抜歯後、義歯を作製する必要がありました。
そして、この義歯の作製は「X」の専門外来でやらなければならないローカルルールが施設にはありました。
なぜ、患者さんの家族は「X」に診て欲しくないのか尋ねてみたら、以前に「X」が患者さんにした態度が原因でした。
「X」は、患者さんの肩にゴム手袋をペチペチ当てて「元気にしてる?ちゃんと歩いて来れるんだからありがたい話だよ。ははははは。」といった態度を患者さんにとったため、その光景をみていた家族は嫌悪感を抱いたようなのです。
当時、私もその場にいて、このやりとりを目の当たりにして驚愕したのを覚えています。
研修医もこのやりとりをみて唖然としていました。
私は研修医とこのやりとりのことを「ゴム手袋ペチペチ事件」と呼ぶことにしました。
患者さん本人は昔気質な性格なのでパターナリズムに対してそれほど気にしてはいないようでしたが、家族としてはそのような「X」の態度があまり許せなかったようです。
私は、その施設のローカルルールに逆らう形で、「X」に秘密で患者さんを診ることにしました。
途中までは良かったのですが、作製中の義歯を私が隠すのを忘れてしまい、「X」に見つかってしまいました。
なぜ君がこれを作っているんだと「X」に問われた時、そこで私は嘘もついてしまいました。
正直に『患者さんの家族が「X」に診て欲しくなかったので、私が診ました。』と経緯を伝えれば良かったのですが、私はちょうど他の患者さん対応中だったため、焦って良い嘘がつけませんでした。
この時は、しくじったなぁと思いました。
「X」は許可なくルールを破った私にカンカンに怒っていました。
当時、私は「X」に指示された論文の作成も怠けていたし、私の指導法にも疑問を持っていたと思うので、「X」の怒りは相乗効果でさらに膨れ上がりました。
後に「X」に部屋に呼び出され、「君は、この施設のルールに逆らって治療したが、君がやっても患者にとって良いことは何一つない。」と踏んだり蹴ったり、言いたいことを山ほど言われた気がします。
そして最後にこう言われたのを覚えています。
「君の医療は患者の予後を悪くする」と。
私の今までの歯科医師人生は、この言葉で意味をなさないものにされてしまいました。
私は、その2日後に辞表を提出し、施設から出された給料を吐き捨てるかのように、職場の研修医やスタッフに還元しました。
当時、施設から出されたそのお給料が、「X」の言葉が染み付いているように思え、汚物のように汚らわしいお金にしか思えず、手元においていたくなかった気持ちが強かったからです。
今考えるとその吐き捨てたお金は取っておけば良かったーと少し後悔もしていますが(笑)
辞表をだしてから仕事の引き継ぎをして、3週間ほどで退職をしました。
辞表はすんなり「X」は受け取ってくれました。
ルールに逆らうし、やることをやらない人間は辞めて欲しかったから当然でしょう。
その時「X」から「今後どうするんだい?」と聞かれました。
バイト先で常勤として雇ってもらえる話もありましたが、私は適当に「どこか田んぼを借りて自給自足の生活をしてみます。」とでたらめを言ってみたら、「君にはちょうど良いと思うよ。頑張りたまえ。」と皮肉を言われた気がします。
今でも、こういう皮肉は「X」はとても上手だなぁと思います。(笑)
さて。
「君の医療は患者の予後を悪くする。」という言葉が、私の頭の中で引っかかっていました。
自分なりに独学でずっと勉強をしてきましたが、その今までしてきた勉強や実技は患者の予後を悪くしてしまうのかと。
普通であれば気にしなくて良いと思うのですが、当時の私の心は繊細だったので、こういった言葉で精神的にダメージを受けていました。
相手にかける言葉の大切さ。
この時、身に染みて理解しました。
その後私はどうしたかというと、バイト先に就職もせず、2ヶ月間歯科医師の仕事から遠ざかっていました。
その2ヶ月間、私は四国に1人で旅をしたのです。
気の向くままに電車に乗って、降りたい駅で下車し、街の雰囲気を味わい、近くのゲストハウスに泊まり、たまたまそのゲストハウスで出会った仲間と喋って、お互いの健康を祈り寝て、翌日出発する。
それを繰り返す毎日でした。
そのような放浪をしながら、自分の医療について見つめ直したり、どうすれば患者さんと家族、そして「X」の掛橋になれただろうかなどのことを考えていました。
患者さんは足に障害を持っており、患者さんの家族は貴重な時間を割いて施設に連れてきています。
だから、きっと患者さんだけでなく、その家族の気持ちを汲みとってあげる必要はあったな。
患者さんの家族の気持ちには寄り添えたけれど、「X」には寄り添うことはできなかったな。
でも、こうしたら「X」と寄り添えたかも。
当時の私は、その架け橋となる能力が欠けていたので、自分なりにフィードバックしていました。
放浪しているうちに、私はまた仕事がしたくなり、自分の今までの勉強は無駄ではなかったことに気づくようになってきました。
そして、現在は歯科医師の仕事をして9年目。
来年の4月には10年目を迎えようとしています。
私は、歯科医師としては未だ一人前にはほど遠いかもしれませんが、「ゴム手袋ペチペチ事件」など数々の珍事件を起こした「X」を反面教師として、私の「いま」が成り立っていると思います。
そういう意味では「X」に本当に感謝しています。
患者さんと、その家族、そして「X」の懸け橋となれるよう、引き続き精進して行かなければならないと思う毎日です。
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