厳しい残暑が続いています。
寝てる間にだいぶ寝汗を書いているので、いつも起床したら水分補給を心がけています。
それだけで、ぼーっとした頭も目覚めてくれ、1日の始まりが整う気がします。
今日で、8月も終わりですね。
今日も仕事をこなして、9月に向けてのバトンをしっかり繋げていきたいものです。
さて、最近ではコンビニでも希少なコーヒー豆を使った挽きたてのコーヒーを飲むことができるようになってきました。
某有名コーヒーショップのドリップパックが気軽にスーパーでも購入でき、家庭でも美味しいコーヒーを簡便に飲むことができるようになっています。
コーヒーは私達のライフスタイルになくてはならないものになってきました。
そんなコーヒーは、いつ、どこで、誰が、どういうきっかけで発見したのでしょうか。
今回の記事では、そんなコーヒーの発見にまつわる、2つの有名な説について触れていきたいと思います。
カルディのコーヒー発見伝説:エチオピア起源説
アビシニア(現エチオピア)にカルディと言う山羊飼いの少年がいました。
ある日、カルディが世話している山羊達が、興奮して飛び跳ねているのを見つけました。
いつも従順な山羊達が、そのような状態になるのは何故なのかカルディは不思議に思いました。
カルディは理由を探るために、山羊達をしばらく観察しました。
すると山羊達が、ある赤い実を食べると興奮していることに気がついたのです。
カルディは自分もその赤い実を食べたら元気が出るのではないか?と考え、実際にその赤い実を食べてみることにしました。
すると、見る見る内に全身に精気がみなぎり、気分爽快になったそうです。
それ以降、カルディは夜の勤行の時には赤い実を煎じて飲み睡魔と戦ったと言い伝えられています。
シェーク・オマールのコーヒー発見伝説:イエメン起源説
もう一つのコーヒー起源説は、“シェーク・オマールの伝説”です。
イスラム教徒にシェーク・オマールという人物がいました。
シェーク・オマールはイエメンのモカという場所で、病を患っていた王女を祈祷によって救いました。
しかし、その後にシェーク・オマールは王女に恋心を抱いてしまった罪で、国から追放されてしまいます。
行く当てもなくひもじい思いで彷徨っていると、小鳥たちの群れが木に集まっているのを見つけました。
小鳥たちは、その木に実っている“赤い実”をついばみ、陽気にさえずっていました。
シェーク・オマールは、その赤い実を集め、試しに煮込んでみることにしました。
すると素晴らしい香りのスープができました。
そのスープを飲んでみると疲労も消し飛び、全身に活力が沸いたそうです。
後に彼はこの赤い実をイエメンの国王に報告し、国中の多くの病人を救ったことから、罪を許されモカに帰ることができました。
発見説の謎
2つの発見説には、コーヒーの木に実った“赤い果肉を食べたり”、“スープに煎じて飲んだり”している記述はありますが、私たちが日頃嗜んでいるような、種子を焙煎し、豆を粉に挽き、湯をかけて抽出したコーヒーを飲むような記述はありません。
この種子を焙煎して飲むコーヒーの最古の記述は、10世紀ごろに書かれたアラビア人医師ラーゼスの記録です。
少なくともその時代までには、コーヒーの木を栽培し、赤い実から種子だけを取り出して、種子を焙煎する技術ができていたと考えられます。
しかし、この焙煎の技術を最初に行ったのは、どこの誰なのか、またいつ、どこでこの技術が発見されたのかについては、未だ記録が見つかっていないようです。
さて。
これら2つの発見説は、どちらが真実だと思いますか?
待夢珈琲店の今井利夫先生は自身のブログ内でこう綴っています。
『「カルディーの発見伝説」は多くのエチオピア人が知っていたが、「シェーク・オマールの発見伝説」はイエメンの人々に聞いても全く知らなかった。』
人々の間で語り継がれていないということは、シェーク・オマールの発見説(イエメン起源説)は真実としては程遠い存在なのでしょうか。
この現地の住民のリサーチは、非常に興味深い内容に思えます。
オールアバウトコーヒーから得た貴重な2つの発見説の詳細を今井利夫先生が記事に綴っていますので、興味がある方は下記のサイトも参考にしてみると良いかもしれません。
コメント