たいそうなブログタイトルを自分で書いておいてなんですが。
このタイトルの記事を綴ろうと思ったのは、たまたま古書店で手に取った社会史の本がきっかけです。
断片的に綴られた物語が非常に興味深くかつ印象的で、本を読んでいる途中、ふと自分の過去を振り返っているのに気がつきました。
初めて飲んだコーヒー
それは中学生の頃だったと思います。
寒い冬の季節だったと思いますが、マグカップに牛乳と大さじ1のキビ砂糖、小さじ1のインスタントコーヒーの粉を入れて、電子レンジで温める「なんちゃってコーヒー牛乳」を母がよく作ってくれました。
この「なんちゃってコーヒー牛乳」がコーヒーと呼べるかは定かではありませんが、広義の意味ではコーヒーだと解釈しています。
ピーナッツバターをたっぷり塗ったカリカリのトーストと一緒にコーヒーを飲んでいた淡い記憶を今でも思い出します。
これが私が飲んだ初めてのコーヒーだと思います。
家族と飲んだコーヒー
次に、高校生の頃です。
我が家では夕食後にコーヒーを飲む習慣がありました。
そのような夜の時間帯にコーヒーを飲むようになった習慣は、父がきっかけだったと思います。
日曜日だったでしょうか。
19時頃に夕食をとり、20時からのNHKの大河ドラマを見終わったら、「母さん、コーヒー。」と父が母に言っていたのを記憶しています。
いつしか母はその時間帯になると、何も言われなくてもインスタントコーヒーで作ったブラックコーヒーを父に淹れていました。
そして父だけでなく母も飲むようになり、自然と私にも「コーヒー飲む?」という形で声がかかるようになりました。
最初はインスタントコーヒーを飲んでいましたが、いつしか、我が家にはコーヒーメーカーが導入され、スーパーで購入したレギュラーコーヒーの粉から抽出したコーヒーを飲むようになっていました。
私は小さじ2杯の森永「クリープ」と同量の砂糖を入れて飲んでいたと思います。
ステータスとしてのコーヒー
大学生の頃です。
この時期はスターバックスに通うのが大好きでした。
スターバックスで勉強したり、スターバックスのロゴが入ったタンブラーを持っていることが、学生にとっての1つのステータスだったように感じます。
特にコーヒーフラペチーノや定番のスターバックスラテをよく注文していました。
時々、大人ぶって「本日のコーヒー」を注文するのですが、苦くてざらつきを感じる泥のような飲み物を、美味しいとは感じることができませんでした。
それでも、これがコーヒーなんだと自分に言い聞かせて、周りの目を気にしながら見栄を張って飲んでいた自分がいたように思えます。
最終的には、我慢しきれず砂糖とミルクをふんだんに入れていたと思います。
世界観が変わったコーヒー
社会人になってからは、旅をするのが好きになり、ゲストハウス巡りをしていました。
とある愛知県のゲストハウスに行った時、そこでオーナーに淹れてもらったコーヒーに衝撃を受けたのを覚えています。
「コーヒーを淹れましょうか?」と聞かれ、「お願いします」と返したら、手煎り焙煎器を取り出しいきなり生豆を焙煎し始めたのです。
焙煎を始めてから約10分ほどで、甘く香ばしい香りが部屋中に広がり始めました。
パチパチと音がしてきたら、オーナーのさじ加減で焙煎が終わり、新聞紙の上で焙煎した豆を冷却。
その冷却した豆を、手挽きのコーヒーミルを使って豆を挽き、ネルドリップでコーヒーを抽出してくれました。
コーヒー豆が焙煎される工程から抽出までを始めて目にした瞬間でした。
家庭でも焙煎できるということも、この時知りました。
ハンドドリップで抽出してくれたオーナーのコーヒーは、アメリカンコーヒーのような薄いコーヒーでした。
「だいぶ豆放置しすぎたからね。いつの豆かわからん。だからかね。味ないね。でも焙煎したてだから香りがすごい出てるね」と笑ってた気がします。
味わいはともかく、いつまでもカップの中から漂ってくる香り。
焙煎したての荒れ狂う爆発的な香ばしい香りに衝撃を受けました。
コーヒーの世界観が、180度変わった瞬間です。
自分のコーヒー
以降、コーヒーという嗜好品に興味をもち、日に日に探求心が強くなっていきました。
カフェや喫茶店巡りをしながらコーヒーを飲み比べするようになったり、コーヒーセミナーを受講してみたり。
そして最終的には自分で生豆を焙煎し、焙煎した豆を挽き、ハンドドリップで抽出して一杯のコーヒーをつくっています。
それぐらいコーヒーが好きになっています。
自分のコーヒーが形作られていくことの喜び。
なぜ、手間暇のかかるコーヒーにここまで没頭しているのか、自分でも不思議に思っているぐらいです。
ゲストハウスで体験したことや、コーヒー屋さんで飲んだ美味しいコーヒーに出会ったことが、よほど影響を与えてくれたんでしょう。
こうやって私のコーヒーとの関係のはじまりを、断片的に振り返ってみると感慨深い思いです。
短い断片が繋がっていくことで、今の自分になれているんだと改めて実感しています。
そして、これからの未来、私の断片がどのように形作られていくのかとても楽しみになりました。
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