今日は祝日。
勤労感謝の日ですね。
勤労感謝の日は、収穫を祝い感謝するための「新嘗祭(にいなめさい)」が由来です。
新嘗祭とは、「五穀豊穣に感謝し、その年に収穫した新しい穀物を神に供え、天皇自らも召し上がる儀式のこと」。
つまり、勤労感謝の日は、そもそも「勤労」そのものではなく、勤労によってもたらされた農作物の恵みに感謝する日でした。
特に日本においては、米の収穫を祝うことをとても大切にしていました。
お米は、神様との関係が深いと考えられているからです。
幼少期時代、お茶碗にご飯粒を残してしまった時、「ご飯粒残してはいけません。一粒のお米にも神様が宿っているんだから、バチが当たりますよ。」と祖母に怒られたことがあります。
「米」という漢字は、八十八と書きます。
これは、お米を作るまでに88の行程の作業があることから、「米」という漢字が生まれたと言われています。
そのような長い行程の中で、無事にお米を収穫できるのは、お天道様あってのこと。
まさに私たちは神様に支えられて生きているのだから、ご飯粒を残してはいけないというわけです。
私は、お米を本格的に育てたことはありませんが、社会人になってから田植えをしたり、稲刈りの経験をしたことがあります。
なので、米作りの大変さは少しだけ理解できているつもりです。
お天道様以外にも、水、土壌、微生物など、たくさんの影響によってお米が作られることが後々になってわかったため、祖母に怒られたことが社会人になってから心に響くようになりました。
現在は、スーパーで年中お米を買うことができるようになっていますが、昔は年に一回の収穫しかなかったわけです。
日本の生産技術もだいぶ進化したため、なかなか米の収穫を祝う習慣が薄れてきているようです。
戦後からは、11月23日を「勤労を尊び、生産を祝い、国民互いに感謝しあう日」として国は制定しました。
先程の生産性の向上に伴う影響以外にも、天皇制の廃止に伴い、そのように制定されたようです。
なかなか勤労を尊び、お互いに感謝し合うことってないですよね。
仕事があることに感謝をする。
働くことができることに感謝をする。
そして、それによって身の丈にあった豊かな暮らしができることに感謝する。
考えてみると、これって当たり前のようで当たり前じゃないんですよね。
職場のスタッフや院長先生、全ての人に私は支えられていることを、このブログを書きながら改めて感じます。
今日は、日頃言葉で感謝を表してないから、きちんと言葉で感謝を伝えてみようかなと思った1日となりました。
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