プログラミングが必修科目になっているらしい。

プログラミングが必修科目になっているらしい日々の出来事
プログラミングが必修科目になっているらしい

おはようモーニング。

今日も瀬戸内寂聴さんのコトバをありがたく聞かせて頂きました。

「明るい人や幸せそうな人をみていると、こちらまで気持ちが明るくなります。幸せというのは、こうして伝わっていくのです。」

いつも暗く挨拶していると、相手にもその気持ちが伝わってしまう。

自分の勝手な態度で相手の気持ちを暗くしてしまったらダメだなといつも思うのですが、本当に瀬戸内寂聴さんのコトバは的を射抜いていますよね。

今日は相方と瀬戸内寂聴さんのコトバを聞いて、途端に笑顔になりました。

プログラミングが必修科目になっているらしい

さて、先日プログラミングが必修科目になっていると聞いて、とても驚きました。

私が通っているヘアサロンのオーナーは小学生のお子様がいて、学校でプログラミングを学んでいることを私に話をしてくれました。

プログラミング!?と驚きを隠せなかったのですが、実際に学校でプログラミングを学び、簡単なゲームを作ったりしているそうです。

また、パソコンのパワーポイントを使い、みんなの前でプレゼンを披露することも。

プログラミングやプレゼンなど私の苦手な分野を、今の時代の子達は当たり前のように扱うようになっていくみたい。

調べてみると、2020年から小学校ではプログラミングが必修科目になっているそうですね。

実際には、プログラミングを学びプログラマーの育成を狙っているわけではなく、“プログラミング的思考”を養っていくのが目的だそうです。

国としては、このプログラミング教育を通して、プログラムの働きやその活用性の高さを知りなさいよ。

そして、現代社会がコンピューターによって支えられていることに気づきなさいよ。

そしてそして、社会の中でコンピューターを上手に使って暮らしていきなさいよ。

結果的に、日本から新たな知的産物が創出される可能性があるから、国としても応援してますから頑張ってください!

というように、国にとっても国民にとってもwinwinの関係になることを狙っているのかな。

いやはやすごい時代になったものです。

ゆとり世代は置いてきぼり?

そのような教育を目の当たりにすると、私の小学校時代とつい比較してしまいます。

私の時代は、ゆとり教育が導入されていました。

詰め込み教育の弊害として、落ちこぼれが出てしまっていたことを背景に、生きる力を創出していくことに教育がシフトされてきたのです。

「ゆとり」という言葉が、なんとなく「勉強しない」というイメージに繋がってしまいがちですが、勉強しなかったわけではありません。

実際に、「ゆとり」だからといって学力が下がったわけではないことは、その後の調査結果で明らかになっています。

しかし、自分の実感として、小学校の時代にゆとり教育が導入され、土曜日の授業がなくなって楽になったことは確かだったと思います。

授業日数が少なくなれば、自宅で勉強するかというとそうでもなかったので、やはり現在の教育と比較すると、強制的に行う勉強量が足りないように思えます。

だからか、置いてきぼりを食らっているように思ってしまうことがあります。

劣等感に苛まれるのであまり考えたくはないのですが、やはりヘアサロンでのそういった教育の話を聞いてしまうと、ついつい無自覚に比較してしまう自分がいるのです。

でも、別に劣等感を感じる必要はないんですよね。

だって、ゆとり教育はゆとり教育でしか得られないこともあったかもしれないのだから。(思いつかないけど。)

教育を比較することは全くの無意味であって、そんな暇があるんだったら勉強しなさいよと自分に言い聞かせていかなきゃと思った今日この頃でした。

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