沖縄問題を取り上げたABEMAPrimeを視聴して感じたこと。

日々の出来事

ことの発端は、ひろゆきさんのツイッターでの発信内容が論争を巻き起こしていることから、AbemaPrimeを視聴したところから始まりました。

私は、本土側の人間として、沖縄問題を注視してきていますが、他人事のようにこの問題を扱ってきた節があります。

というのも当事者の立場として問題が降りかかっていないからです。

そういった人間がこの記事で発言することは、内地側の人からみたら、如何なものかと思うのですが。

私は以下の書籍を読んできた人間です。

沖縄問題を語る上で、読者の皆さんには私がまだまだ知識が足りないことを認識して頂いた上で、記事を読んで頂ければ幸いです。

  • 半藤一利「昭和史1926〜1945」「昭和史1945〜1989」「日本のいちばん長い日」
  • 緒方貞子「満州事変」「戦争が終わらないこの世界で」
  • 堀潤「わたしは分断を許さない」
  • スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチ「戦争は女の顔をしていない」
  • 橋本 明子「日本の長い戦後:敗戦の記憶・トラウマはどう語り継がれているか」
  • 沢地久枝「妻たちの二・二六事件」
  • 岸雅彦「はじめての沖縄」「断片的なものの社会学」
  • 比嘉康雄「日本人の魂の原郷 沖縄久高島」
  • アーサー・ビナード「知らなかった、ぼくらの戦争」
  • 中村哲「アフガニスタンの診療所から」
  • etc

AbemaPrimeを視聴した私の感想としては、ひろゆきさんの発言は、事実としてはとても正しいことのように思いました。

「その事実に対してどう思うのか?」という問いに対して、せやろがいおじさんや阿部岳記者が応えるのですが、いくら問いただしても、沖縄の歴史的背景などの問題を取り上げて、事実を受け入れないため、話がまったく噛み合っていない論争になっていたように思います。

確かに、沖縄の方々の気持ちを汲み取れば、その事実が受け入れ難いのは理解できます。

討論の場で集まっていた人々の前で、その事実を認めたら、沖縄の抗議活動をしている方々を傷つけてしまう可能性もありますし。

東京在住の反対派がそこを汲み取って意見を言えないのであれば、それこそ、現地で抗議活動をされている方を直接招いて討論した方が良かったように思います。

今回の放送では終始、話が平行線を辿っており、視聴者を楽しませる会となっていました。

沖縄問題をより具体的に解決するためにはどうすれば良いのか、見識のある高尚な方々の具体的な意見を聞きたかったのですが、それが今回の放送で聞けなかったことはとても残念で仕方がありません。

ひろゆきさんの発言は、沖縄の方々の感情を逆撫でする行動と発言だったことは、間違いないように思います。

そこの感情に配慮した行動や言動をすべきだったのではないかと思いますが、ひろゆきさん自身も沖縄問題に関しては、日本全国の問題であることを認識しているのはよく理解できました。

また大空幸星さん(https://twitter.com/ozorakoki)という若くして素晴らしい考えを持っている方に出会えたのは、良い時間となりました。

これから彼の言動には注視をしていきたいと思います。

私も、沖縄問題は日本全国で考えていかなければならないことだと思っています。

しかし、何故自分ごとのように考えられないのか。

それは当事者として、沖縄の基地問題が自分達の地域に降り掛かってこないからだと思います。

まさに平和ボケしていると言わざるを得ません。

そのような平和ボケしている中、自分が投票した議員が選ばれず、国の方針にも抗えないなら、自分の小さな幸せを充実させて生きていくしかない。

そのようなプロセスが働いてしまっているのは事実です。

また番組内では、国会議員が沖縄問題を取り上げて考えていく必要性についても言及されていました。

しかし、都道府県から出馬している国会議員が、沖縄問題を取り上げないのは、他県の問題を大々的に取り上げたら票が集まらないからでしょう。

市民は自分達の生活だけしか見えていないのです。

かくいう私自身もその1人となってしまっています。

声をあげたくても、あげられない。

あげたところで、賛同を得られない。

多勢に無勢。

マジョリティの大海で何もしないで漂っている身分なのです。

そんな自分に嫌気がさしているので、少しでも被害者側の見地を理解することを務めようとしています。

それこそ、昭和史の歴史的背景を汲み取ったり、社会問題に対しての情報を得ることを、隙間時間を見つけては書籍を読んで調べています。

私たちのような当事者でない人達が沖縄問題を考えていくにはどうすれば良いのでしょうか。

私には、その歴史的背景を少しずつ理解するしか今はできません。

そして、それに対して恥じることしかできないのです。

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